翻訳テクニック集 目次

full text

IT系の文書を読んでいると、よくfull textという表現が出てきます。

(文1) The full text is displayed in Edit window.

このfull textはどのように翻訳しましょうか。

編集ウィンドウに完全なテキストが表示されます。

辞書でfullを引くと確かに「完全な」という訳が載っていますが、日本語で「完全なテキスト」という表現は見聞きしません。日本語で「完全なテキスト」というと、欠落などの欠陥がないテキストのようなイメージがあります。しかし、上記のfull textは、欠陥の有無というより、省略されていないテキストという意味を表しています。省略の有無ですから「完全」というより「全部」と考えるべきです。ただし、「全部のテキスト」という日本語は見聞きしません。書くなら「テキスト全体」です。

編集ウィンドウにテキスト全体が表示されます。

読みやすく分かりやすい訳文になりました。

fullが単独でtextを修飾するとは限らず、他の語句と並列になる場合もあります。

(文2) Type the partial or full text and click [Search].

よくある書き方です。よく似た表現にpart or all of ...という表現もあります。順序を入れ替えてall or part of ...やall or any part of ...という表現もあります。同様の意味で可算名詞であればsome or all of ...という表現が使われます。

さて、例文を日本語に翻訳してみましょう。文1で検討したように、fullを「完全な」と翻訳することはできません。

(×) 一部または完全なテキストを入力して [検索] をクリックしてください。

注: 英語版画面のSearchが日本語版で「検索」になっているとします。

日本語で「完全なテキスト」というと、欠落などの欠陥がないテキストが頭に浮かびます。上記のfullの意味は、欠陥の有無ではなく、省略されていないことを表していますから、「完全」ではなく「全部」と考えるべきです。

一部または全部のテキストを入力して [検索] をクリックしてください。

これでは日本語としての据わりが悪いです。語順を入れ替えましょう。

テキストの一部または全部を入力して [検索] をクリックしてください。

一応の決着をみました。翻訳調でぎこちない印象がありますが、誤訳ではありません。

単価の低い翻訳であれば、ここまでで満足するところです。納期が短く量をさばくことが求められる翻訳で日本語のなめらかさを追求できないのは仕方ありません。

ただし、この水準の訳文では機械翻訳と変わりません。翻訳技術の向上を図るためにも、ここでは日本語訳を磨いていくことにします。この水準の訳文しか出せずに結果としてこの訳文で決着するのと、これ以上の翻訳技術を持っているがあえてこの水準の訳文にとどめておくのでは雲泥の差です。

英語と日本語の違い

さらに深く日本語訳を追究する前に、1箇所修正しておきましょう。

日本語では「テキストの全部」という言い方をしません。テキストであれば「全体」です。

テキストの一部または全体を入力して [検索] をクリックしてください。

翻訳調に感じてしまう原因は、やはり日本語と英語のギャップにあります。

日本人は頭に浮かべている事物が全体か一部かを意識しませんが、英米人は常に意識しているようです。他の項でfragmentsnippetでこのギャップについて考察しました。a set ofも集合を意識した表現でした。

このように、英語では常に全体か部分かを意識していますが、日本語では特段の理由がない限り全体か部分かを意識しません。意識しないのに「……の一部または全部」や「……の一部または全体」と翻訳するから、上記の訳文に違和感があるのです。

日本語で全体か部分かを意識しないのが普通であれば、全体か部分かの区別を文の本流から外してやれば違和感が解消されるに違いありません (ただし、契約書や法律の条文など、厳密な翻訳が必要な場合はこの限りではありません)。

テキスト (一部だけでも可) を入力して [検索] をクリックしてください。

文の本流は「テキスト」にとどめ、全体か部分かの区別を補足扱いとして括弧の中に記述しました。

この文を読んだときにどのように感じましたか。その感覚を振り返って分かるとおり、日本人*は「一部だけでも可」と言われるまで「テキスト」が全体を指すか部分を指すかを考えもしないのです。

*厳密に言えば日本語を母語とする人ですが、簡単のために日本人とします。

括弧書きが不細工であれば、文として独立させることもできます。

テキストを入力して [検索] をクリックしてください。テキストの一部だけでも検索できます。

テキスト全体を入力しても構わないことは2文目で暗示しています。

翻訳調だが誤訳とまではいえないとして許容した訳文と比べてみてください。

テキストの一部または全部を入力して [検索] をクリックしてください。

テキスト (一部だけでも可) を入力して [検索] をクリックしてください。

テキストを入力して [検索] をクリックしてください。テキストの一部だけでも検索できます。

後の文ほど日本語としてなじんでいることが分かります。

ここまで検討してきて気づくことは、英語では全体か部分かを明示的に書くが、日本語では暗示で構わないどころか、むしろ暗示するにとどめたほうが日本語らしいことです。とても興味深い特徴です。

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