技術翻訳をしていると、ときどきbest practiceという用語が出てきます。日本語では、そのままカタカナに置き換えてベスト プラクティスと呼ばれています。デジタル大辞泉によれば「最良の実践法。最善の方法」という意味です。
Wikipediaではさらに詳しく説明されています。
この説明から分かるように、もともとベスト プラクティスは、さまざまな経験や検討を重ねた結果として導き出された知見を指していました。
この意味から発展して、英語では、さまざまな経験や検討を重ねて得た知見でなくてもbest practiceと言っていることがあります。
実際、英語版Wikipediaでは「Best practice is considered by some as a business buzzword, used to describe the process of developing and following a standard way of doing things that multiple organizations can use.」とも説明されています (2015年2月閲覧)。つまり、ビジネス界の乱用語 (business buzzword) と見なされてもいるわけです。
例えば、このような英文が書かれます。
A best practice is to ...と何やら大仰な書き出しですが、この英文は、定式化された何らかの慣行を参照しているわけではなく、単にそうすることが望ましいと述べているに過ぎません。そのような内容をbest practiceと呼ぶのは大げさな気がしますが、これが現実の英文です。まさにbuzzwordです。私が翻訳実務の中でこの用法を見るようになったのは2010年代です。
日本語ではまだこのような用法は定着しておらず、カタカナで「ベスト プラクティス」と書けば、多くの事例から引き出され、ある程度定式化され確立された知見を指します。日本語で単に「こうしてください」と伝える場合にベスト プラクティスと言うことはありません。
とすると、上記の英文を翻訳するときにbest practiceを「ベスト プラクティス」とすべきではありません。
(×) ベスト プラクティスは、複数の専門家から意見を集めることです。
(○) 複数の専門家から意見を集めることを推奨します。
何でもかんでも用語集の訳語を引っ張ってくればよい、というわけではないのですね。
注: ここでは訳文を対比するために「……を推奨します」と訳出しています。翻訳を工夫する余地がありますが、この訳についてはまた別項で検討します。
私個人としては、ただの流行語としてのbest practiceが好きになれません。本来の意味で日本語に定着することには反対しませんが、無節操にあれもこれもベスト プラクティスと呼ぶ風潮まで日本語に定着することがないよう願っています。