英語では、製品が何かをprovideする、という表現をよく見かけます。例えば、Produk-Tという (架空の) 製品について以下のように記述されることがあります。
日本語訳では、そのまま「提供する」としている事例を頻繁に見ます。
誤訳ではありません。実際、リーダーズ英和辞典 (初版) でprovideを引いてみると、以下の訳語が載っています。
provide
―vt
1 供給する, 提供する (supply); 用意 [準備] する, 支給する, あてがう.
(語義2以降は省略)
「提供する」で誤訳ではありませんが、「用意する」のほうがよいでしょう。
少しましになりましたが、まだ日本語としてしっくりしません。
原因は、モノを主体として語っていることです。
原文ではProduk-T provides...とモノの視点から語っていますが、そのような書き方ができるのは英語だからです。対照的に、日本語では、モノが何かの行為をするという見方をしません。日本語では、基本的に何かをするのは人であり、違和感なく擬人化できない限り、モノが何かの行為をすることはないのです。
こういう場合に効果的なのが受け身の表現です。
この日本語文から推察されるのは、ベンダ (製造元) の人たちが用意したという状況です。受け身に書き換えることで、モノ中心の視点から人中心の視点に移したわけです。
受け身を使わずに、自動詞で翻訳することもできます。
他動詞「用意する」の代わりに自動詞「備わる」を使いました。この訳文でも、ベンダの人たちがこの製品にスクリプト コンパイラを備えた、という見方をしています。モノ中心の視点ではなく、人中心の視点で語っています。
いくつか訳例を出しましたが、一番よいのは自動詞を使うこと。受け身を使わずにシンプルに書ければ、それが最善です。ちょうどよい自動詞が見つからない場合は、受け身を使うことになります。最悪なのは、モノ視点で書くこと。