IT系の英文を読んでいると、よくuserやcustomerという単語が出てきます。
よく出てくる表現なので、技術翻訳の観点から検討してみます。ここでの議論は、IT分野に限らず、電気やエネルギー、機械、化学など、どの分野の翻訳にも当てはまります。
この英文を翻訳するとどのようになるでしょうか。
確かにcustomerは顧客を意味していますが、それは製品やサービスを提供する側から見た場合の話であり、読者の視点ではありません (読者が自身のことを「顧客」というはずがありません)。また、製品やサービスを提供する側が利用者を「顧客」と呼ぶのもぞんざいです。
「お客様」と書き換えることで丁寧にはなりましたが、技術系のドキュメントとして似つかわしくありません。カタログやプロモーション用Webサイトに載せるにしても、ここで「お客様」と書いてしまうと、他の箇所も同じ水準の敬語を使わなければならなくなります。敬意を払うのはよいことですが、そのために全体の文章が煩雑になり、読みにくくなったり慇懃無礼な印象を与えたりしては本末転倒です。
それに「システムを持つ」という表現も舌足らずです。確かにwithには持つという意味がありますし、誤訳ではありませんが、稚拙です。企業の顔としてPRの場で出すには格好悪い表現です。
もう少し改まった言葉「所有する」に書き換えてみましたが、しっくりきません。そもそもシステムは所有することが目的ではないからです。
こちらの方がましですが、修正に修正を重ねて随分な厚化粧になってしまいました。
英語と日本語の違い
日本語では、ことさらに誰が、誰がと言いません。相手を直接指す言葉を使うと、きつい印象を与えてしまいます。そのため、日本語で相手を直接指すことはあまりありません。
このような理由で、customersを顧客と翻訳しようがお客様と翻訳しようが、違和感がぬぐえないのです。この問題は、customersを直接訳文に出さないようにすれば解決できます。
このcustomersは大規模なシステムを運用する存在ですから、このことを利用してcustomersを暗に示すのはどうでしょうか。
顧客が現時点で既に運用しているとは限らず、まったく新規に導入することも考えられます。その場合は少し表現を変更する必要があります。
ただし「運用」というと実際に動かしているニュアンスが強くなります。まだ導入していなければ「運用」するとは言いにくいでしょう。
訳文のトゲがずいぶん抜けました。これなら、つるんと喉ごしよく読めます。
この文の焦点は何か
さて、ここまで訳文をいろいろ工夫する中で「運用」や「使用」という単語を持ち出しましたが、果たしてこの言葉は必要でしょうか。
原文に立ち返りましょう。
原文で一番重要なポイントは、customersが運用するのがlarge systemsかどうかです。つまり、customersが何をするかが重要なわけではないのです。記述の焦点はlarge systemsに絞るべきです。
この視点に立つと、元の英文を以下のように書き換えることができます。
何のことはない、元の英文が冗長だったという結論です。
この方法は、大規模なシステムの場合に適しています。
この方法は、システムが大規模な場合に適しています。
訳文もこれだけで十分です。customersを顧客と翻訳するかお客様と翻訳するかの問題は最初から存在せず、英文に惑わされて亡霊と格闘していたというわけです。
読みやすく分かりやすい訳文を作るには、情報を整理することが肝要です。